禁煙、それは我慢というスパイス
今週のお題「自分にご褒美」
いま自分へご褒美をあげるとすればなんだろう。
そもそもご褒美というのは、
好きな物や行為を我慢しているからこそ、
好物から褒美という形へと昇華するのだろう。
そう考えると私がいま思うのは、
「煙草が吸いたい。」
これに尽きる。
文章に起こすとなんてしょうもない。
ただ元々1日1箱吸っていた私が現在2年半禁煙しているのである。
その間、一本も一口も吸っていない。
我ながらよく頑張っていると思う。
つまり好物を我慢したことがご褒美へと昇華するのであれば、
私にとってのご褒美は喫煙なのだろう。
しかし、一口吸ったときにどうなるかは自分がよくわかっている。
まず圧倒的至福が訪れる。
ここまで我慢したのだから、
味なんて関係なく行為そのものに心が躍るはずだ。
しかしその後、至福を超えた後悔が押し寄せる。
至福がP波だとしたら後悔はS波だ。
P波よりS波のほうが大きいのは学校で習った。
なんだ自分へのご褒美かと思えば、
結局ただの後悔じゃないか。
ご褒美というのは至福>後悔でなければ。
そしてこの後悔とは我慢すればするほど大きくなる気がする。
なるほど、我慢とはスパイスなのだ。
適度な我慢は良い味を引き立たせてくれるが、
入れすぎには注意だ。
きっと私は我慢しすぎたのだ。
もう今後いつ吸っても至福が後悔を超えることはないだろう。
禁煙生活はまだまだ続きそうだ。
じんじゃあ